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ぶらっと街歩き”岩切台ケ原界隈歴史探訪”を開催しました

2019年5月26日(日)“志波彦神社と岩切”をテーマに、岩切台ケ原界隈を歩きました。 季節外れの真夏日の予報が出ている中、大勢の皆様にご参加いただきました。集合場所の東光寺を出発し、 鈴木健治さん宅でのミニ歴史講座終了までの約2時間、岩切に住んでいながら、知らないことがまだまだ 沢山あるということを再認識させられました。
さて、皆さんは、勇壮な祭りで有名な「塩竃神社」の神格度をはるかに超える神社が、この地岩切に あったことをご存じでしたか?そう、本日の街歩きのメーンテーマ“志波彦神社”がそれなのです。
志波彦神社は、地域の人々や道中を旅する人々の安全を見守る神社として大きな存在感を示していました。 その存在は、飛鳥・奈良時代から知られていました。また志波彦神社は「地域神」から「国家的守護神」に 転化し、辺境の要塞の「軍神」として機能し、中央による東北の律令支配政策の一翼を担っていました。 平安時代末期には軍神としての役割は薄れ、海の交通の要衛である「塩竃神」が国府在庁官人の利益を 代表する神となり、江戸時代に入ると志波彦神社は塩竃神の末社とされてしまいます。その後、明治4年に 国幣中社に列格し立場は逆転しますが、大社建立には敷地が狭すぎるとの理由で、岩切から塩竃に移る ことになります。現在は塩竃神社正面の右宮に建立されています。(参考:IOC三浦雄司副会長提供資料「志波彦神社」)

東光寺。9時過ぎには、スタッフが集合しました。IOC渡辺会長、岩切市民センター大橋館長は、今日の暑さを心配しています。最高気温32度の予報のなか、熱中症にならないよう気を付ける必要があります。 参加者受付は岩切市民センター河野さんにお願いしました。9時45分、全員集合。早速、出発前のミーティング開始です。
まずは、IOC渡辺会長の挨拶。季節外れの暑さのなか、大事をとって、野外での活動を少し早めに切り上げ、室内での座学に重点を置きたい旨、説明がありました。 IOC三浦副会長からの“志波彦神社”についての説明を受けます。三浦さんのお話の迫力と面白さに、ついつい引き込まれてしまいます。ムードが一気に盛り上がりました。
記念写真を撮って、さぁ出発です。参加者はスタッフ含め36名。皆さん、暑さ対策は大丈夫ですか? さて、どんな驚きが待っているのでしょうか。楽しみです。
おっ!風は意外に涼しいぞ。湿度がないからでしょうか。 こうして歩くだけでも、大勢だと結構楽しいものです。でも、車には注意しましょう。この先から旧道に入りますが、道幅が狭いので特に注意が必要です。
“てんのこやま”の麓に到着です。正面の小高い山が天王山(てんのこやま)。志波彦神社は、現在の八坂神社境内の辺りに鎮座されていたことは知られていますが、それ以前はこの辺りにあったとされています。しかし諸説あるようです。 台ケ原から参加の鈴木さん。子供の頃はこの天王山の辺りでよく遊んだそうです。道路の拡張のために山肌が大きく削られてしまって、今から60年以上前の天王山、今ではその姿を大きく変えているそうです。
旧志波彦神社があったとされる天王山ですが、平地が少ないことから、この場所ではなかったとの説や、又は崖を利用して建つ清水寺のような作りだったのではないかなどの説があるようです。5月19日IOCスタッフが上ってみたところ、それなりの平地を確認することができました。 奥の細道に記述がある“十符の菅”栽培地跡に到着です。道幅が狭く危険なので、集合場所に近くの駐車場を一時お借りしました。細い道とひっきりなしに通る車に、芭蕉の時代、旅人が往来する情景に思いを馳せながら説明を聞きました。
“十符の菅”栽培地跡に建てられた銘板には、「かの画図にまかせてたどり行けば、奥の細道の山際に十符の菅有。今も年々十符の菅菰を調て国主に献ずと云り」の、芭蕉の著した“奥の細道”の一文が紹介されています。 左上の写真にあった古地図(絵地図)を拡大してみました。十符池はじめ東光寺や八坂神社が描かれています。現在の今市橋の当時の姿やその周辺の集落の様子もわかり、興味深いものでした。七北田川に浮かんでいるのは筏でしょうか。
岩切歴史探訪会の佐々木さんにも説明役を買って出ていただきました。いつも思いますが、歴史探訪会の皆様の知識の広さと深さには驚かされるばかりです。 さて、観音堂まで来ました。
説明書きには、この観音堂は昭和58年に有志の浄財によって建てられたとあります。弘化年間の作と思われる3体の観音様が祀られていて、当時の観音信仰の篤さが伝わってきます。出羽三山を祀った石碑があるのは、月山、湯殿、羽黒をお参りしたのと同じご利益を願ったからなのかもしれません。 昔、集落の若い衆が、ここに祀られている石仏を持ち上げたり担いだりして、力自慢したと言い伝えられているそうです。それだけ観音様は身近な存在だったということなのでしょう。微笑ましいエピソードでもあります。
写真奥に見える小路が、岩切城の登城口です。こんなところに、こんな道があったのですね。意外と細い道に驚きました。「それにしても知らなかったなぁ。岩切には長いこと住んでいるのに。」の声が聞こえてきます。 皆さん熱心に説明を聞いています。暑いからと、説明を端折ったりすると、ブーイングが出るほどです。説明役を買って出ていただいた三浦さんや佐々木さんに面白おかしくお話しいただいたおかげです。主催者としては嬉しい限りです。
台屋敷古墳群付近。その存在を確かめようと、今回の街歩きに先立ち、IOC三浦副会長、同鈴木総務、同嘉藤会計の3名で探索の結果、杉林のなかに8基確認することができました。 古墳群は、この杉林を20~30メートル程入ったあたりに点在しています。道らしい道はなく、急斜面のうえ、落ち葉が堆積していて滑りやすいことから、進入は危険と判断し、今回は見学を断念することとしました。
台屋敷古墳群の一つです。写真は5月19日に撮影したものです。今回は見ることはできませんでしたが、貴重な遺跡でもあり、誰でも気軽に見学できるよう周辺整備が望まれます。 気温が30度を超えたため、予定より少し早めに室内に場所を移すことにしました。鈴木さんのお宅(スタジオ“ロゼッタ”)をお借りしての、歴史講座開設です。講師は、三浦IOC副会長、歴史探訪会佐々木さん。
鈴木さんから、60年以上前の七北田川氾濫の様子を、リアル体験談としてお話しいただきました。堤防を乗り越えあふれ出した水が町を覆い、一面海のような状態となるなか、当時小学生だった鈴木さんは、学校から家に帰るために、東光寺の裏手の尾根伝いに大きく迂回するしかなかったそうです。 「十符の菅」「十符の池」についての質問に答える佐々木さん。古地図を片手に丁寧に説明していただきました。当時の名産品だった“菅菰”とは、どのようなものだったのでしょうか。それが今に伝えられてないことが残念でなりません。
講座終了後は、清らかなリュートの音色をお楽しみいただきました。演奏はギター奏者でもある鈴木さん。珍しい楽器とあって、皆さん興味津々でした。繊細ななかにも力強さを感じさせる音色。このリュート独特の響きを再現するために、鈴木さんは、古来の奏法を独学で修得されたそうです。 「お暑い中、大変お疲れさまでした。IOCでは今年、親子映画観賞会やおもしろ寄席を開催する予定です。また改めてご案内しますので宜しくお願いします。」との渡辺会長挨拶をもって散会となりました。お暑い中ご参加いただき、ありがとうございました。